淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。広く浅く、そして薄い視点で気楽に書いてマース。

外れてよかった

 新型コロナウィルスの感染が、一時よりはおさまってきた。
 自分が住んでいる愛知県も他の多くの他府県と同じように、14日には緊急事態宣言が解除される見通し。
 緊急事態宣言が四月の上旬に出されたころ、新型コロナウィルスによる最悪の影響を受けた場合のシナリオを想定し、想定が当たった場合の死者数をこのblogに書いていた。
hatehatehahaha.hatenablog.com
 今日現在、かすりもすることなく大きく外れているが、よかったと思う。
 この文章を書いている5月13日現在、新型コロナウィルスによる死亡者数は700人に届いていない。
 自分が描いた最悪の想定だと200万人だったので、桁が四つも違う。もちろん、今後に増えることはあっても減ることがない数字だが。

 このまま一旦、新型コロナウィルスは収束するのだろうか。
 国内の多くの地域で緊急事態宣言は解除されるようだが、その後にはどうなるのだろう?
 完全に落ち着きを取り戻しているように見えた隣国の韓国では、数日前に見つかったクラスターから一気に100人超の感染者が見つかったことが大きなニュースになっている。
 宣言が解除された地域で、似たようなことが起きなければいいのだが。

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先週末のお散歩ショット。
 この新しい感染症に自分が怯えだしたのは三月末。一気にコロナチキンになったが、最近は違うことにより怯えている。
 自分がより恐れていることとは、人と人との距離。
 コロナによって人々が分断されていると、見たり聞いたりするのは珍しくなくなったが、果たしてそうだろうか。

 今日的な世界では人と人は寄り添っていなかったのではないかと、自分は考えはじめている。
 仕事を介しての人間関係はもちろんのこと、友人、恋人や家族同士であっても。
 余裕がある平時の時、人は遠くにある目的のためには目の前の相手に対しては、自分のエゴを誤魔化して接している。
 だが、非常時になると届くかどうかわからないものを目指すのを放棄して、自分のエゴを手繰り寄せようとするのは当然ではないだろうか。

 SNS上で一時期流行ったハッシュタグが強く印象に残った。#に続くキーワードは、自分さえよければ。
 そのワードを意識するようになったあとは、何度かその文字たちが自心の中を過った。人の前でこそ口に出さなかったが。
 自分も相当にクズだと、改めて思い知らされた。

 コロナの第二波は襲ってくるのだろうか。次の波が来た場合、人々はどんな振る舞いをするのだろう? もっと、強力な自警団が発生するのだろうか。その時に自分はどうしているのだろう?
 格好良く冷静でいるのは無理だろう。少しでも他人を傷つけることがないように日々をやり過ごせればいいのだが、その時に自分はどうなるのだろう……。

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今日の写真のモデルはrikakoさん。

初めての電気鍼

 五十肩からの不快感は右肘、右手の小指だけで収まらず、ついに背中まで影響が現れた。
 自分が通い始めたばかりのカイロプラクティックは、新型コロナウィルスのために診療休止中。
 自宅近くにあり、これまでに何度か通院していた整骨院に行くことも考えたが、気が進まなかった。院長の診療にムラがあるのが、近頃は気になっていたから。

 このまま何も手当をしないことも考えたが仕事をしていても集中できないので、ある鍼灸整骨院に予約を入れた。自宅から車で15分圏内に何件もある、チェーン展開している鍼灸整骨院に。
 整体やカイロプラクティックならいざ知らず、接骨院整骨院が予約制なのは、初めての経験だった。

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先週末のお散歩ショット。
 仕事を終えて夕暮れの中、自転車を漕いだ。陽は確実に長くなっている。オートの自転車灯は点灯しなかった。
 受付で自分の名前を名乗りながら保険証を差し出すと、代わりに問診票を受け取った。
 初診の時にはどこでも書かされる問診票を書くのが、最近は億劫に感じるのは、歳のせいなのだろうか。

 しばらく待つと診察室に通された。
 年の若い柔道整復師が記入済みの問診票を見ながら、自分の症状や原因などを見立てていく。
 身体が硬いとか姿勢が悪いなど、自分でもわかりきっていることを指摘された。
 これでもここ数年は自分なりには気をつけているつもりだが、効果は現れていないらしい。

 50歳に手が届くところまで来ているので、身体にガタがきても仕方がないとは思う。
 だからこそ、痛みや苦痛の抜本的な解決を図りたいと強く考えて、鍼治療を受けることにした。
 酷い五十肩には鍼が一番だと聞いたことがあったから。

 背中、右肩から右肘を経由して右手の手首まで鍼が打たれた。背中にはそれほどの痛みを覚えなかったが肩と手首にはそれなりに痛みが走った。
 目を瞑っていたこともあって、自分の身体に何本の鍼が刺されたのかはわからなかったが、そのまま電気が流された。

 背中は気持ち良くて楽になったが、肩と手首には痛みや痺れが走った。
 電気が流されたのは10分間だったらしい。終わるころには久しぶりに変な汗をかいたが。それなりの効果はあったと思う。帰り道のペダルが幾分、軽く感じたから。

 自分が小学校へ入学する前後だったと思う。
 下町のある鍼灸院まで父親に連れられて何度か通ったことがあった。
 父は車の免許を持っていなかったので、電車と市バスを乗り継いだことを何となく覚えている。
 産まれて初めて見た視覚障害者。初めての鍼治療だったが、子供だった自分は柔軟だったのだろう。すぐに慣れた。
 治療してくれた鍼灸師は男性で今の自分くらいの年齢だった。
 彼の腕は確かだったのだろう。彼の鍼を痛いと思ったことはなかったし、通院した回数も少なかったから。

 親は子を可愛がるのが当たり前とはいえ、評判の良い鍼灸院を人から聞き出して、通わせてくれた両親のことを思った。初めての電気鍼の治療を受けた後に。
 そんな両親の気持ちに感謝しながら、今夜は筆を置きたい。
 はっきりとお礼を言えていないし、これからも上手く言えないだろう、きっと。

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今日の写真のモデルはまやさん。

非日常の中で少し変わった日

 朝早く起きたので一日が長かった。
 自分が設計を担当したシステムのリリース日だったので、今朝は7時から仕事を始めたから。
 すぐにわかるような問題は見つからなかったのは幸いだった。

 少し残業はしたが、17時前にはパソコンの電源を落とした。心療内科への予約を入れていたから。
 自分が受診を続けているクリニックは街中にある。公共交通機関を使うか車を運転していくかを迷ったが、後者を選んだ。コロナへの感染リスクを考えて。
 行きはともかく、帰りは完全に通勤ラッシュに巻き込まれると考えたからだ。

 自分が住む名古屋市の外れからだと目的地までは60分ほど。だが、今日は30分ちょっとで目的地まで着いた。往時の道は空いているとまではいかないが、走っている車の平均スピードが早かったように思う。
 コインパーキングに車を入れたが、他の車の利用はなかったのは以外だった。
 定時が早い会社であれば終わっている時間だったが、歩行者や自転車に乗っている人も少なかった。

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久しぶりにスマホにて。カメラを持って出かけないなんて、カメラマンとしての自覚が足りない……。
 考えたら緊急事態宣言後に初めて来た街中。平日、しかも月曜日にこれだけの人しか目につかないのであれば、経済へのダメージが深刻だと言われていることも、少しはわかった気がする。
 反面、新規の感染者が減っていることも少しは納得できた。

 予約時刻よりも早くクリニックに着くと、他に何組か患者が居た。
 受付にはアルコールが置かれ、コンビニやスーパーなどで見慣れたビニルシートで覆われていた。
 診察券と保険証を手渡そうとすると、係の女性から次のように言われた。感染リスク考慮のために下に置いて下さい、と。ある意味では当然だろう。
 たが、診察室にもビニルシートが用意してあったのには驚いた。問診はビニルシート越しに行われた。
 医者の後ろに見ていたいつもの街の風景が屈折していた。

 行きと同様にスムーズに帰れると考えていたが大誤算。普段と同様に混雑するべきところはほぼ全て混雑していた。
 結局、自宅まで1時間以上もかかった。正確に言うならば、自宅よりも少し手前のドラッグストアまで。
 街中ではいつもの喧噪は感じなかった。街に居る人を少なく感じたのに、帰宅ラッシュに自分が巻き込まれたのは何故だろう? 少なくなっている街中への通勤者の中で、車通勤に変えている人が多くなっているのだろうか。

 ドラッグストアで薬を待っている間、店内で欲しい物を見てまわっていると少し変化があった。
 マスクはほんの僅か、消毒薬はかなりの在庫があった。
 自分がコロナチキンになって必要以上におびえ、コロナ自警団になる寸前のところで引き返してくる間にも、時間が流れて状況が変わっているのを感じた。
 その変化が良いものか、一過性のものかはわからないが。

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今日の写真のモデルは宮本はなさん。

動き出している?

 このごろのニュースでよく見かけるようになった言葉はいくつかあるが、それらの言葉たちを自分が正しく理解しているかは甚だ怪しい。
一時帰休』については完全に勘違いしていた。雇用主から労働者に対して支払われる給料はほぼ満額だと考えていたからだ。
kotobank.jp
 今の世相を反映してか友人たちの一部が、一時帰休になっていることを聞いた。
 自分もかつて似たような経験をしたことがあったが、その期間は1カ月だけ。支給額はいつもの6割だったが非常にきつかった。

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昨日のお散歩ショット。
 株価が実体経済よりも踏みとどまってはいるのが不思議だが、それでも一時よりは下がっている。
 実体経済が悪化し、おそらく自分も巻き込まれる日は来るだろう。
 気持ちの準備だけはしているが、実際にはそれほど行動を起こしてはいない。

 あるスタジオカメラマンのアルバイトを見つけたので、そのスタジオのことを調べた。緊急事態宣言のために休業中のこと、宣言が延長されたので休業が解けるのも先になることがわかったので、アルバイトへの応募を保留した。

 自分が住む街ではまだ十万円を受け取れる日の目処が立っていない。晋三君たちが出し惜しみした十万円が、自分の財布に入るのはいつの日になるのだろう?
 緊急事態宣言が延長になったので、少しは追金が用意されるのではと思っていた自分は少数派なのだろうか。十万円なんて自動車税と食費と光熱費の一部に使えば消えてしまう金額なのに。
 在宅で仕事をしているので食費はともかく、光熱費による支出は以前よりも増えている。

 自宅の近所にあるパチンコ屋は昨日から、カラオケボックスも金曜日から週末限定で営業を再開した。
 コロナ自警団ではないので、眉をひそめようとも思わないし、ある意味では当然だろう。
 政治が何も手助けてしてくれない現状では、彼ら自身が彼ら自身を守る必要があることくらいは理解できるし、彼らの経済活動に対して怒りを抱くのは間違いではないか。

 一度大事なことを投げ出した晋三君を自分は元々信用していなかったが、ここ最近の数ヶ月でどれくらいの国民が彼に期待をしなくなったのだろうか。
 不織布のマスクが一時よりは求めやすくなったのに、布製のマスクが自分の身近からは届いたという知らせを聞いていない。
 十万円と違って、皆が特に待ちわびている訳ではないだろうが。

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今日の写真のモデルは加藤凪海さん。

パジャマの距離、下着の距離

 自宅から200メートル以内にコンビニが二軒ある。その距離を知ったのはごく最近。スマホの地図アプリが教えてくれたのだ。
 どちらへ行くにも信号を渡らなければならないこともあって、感覚的にはもっと遠く感じていた。

 一件のコンビニよりも手前にマクドナルドもある。
 一節によると、住んでいる場所から200メートル以内にコンビニとファーストフード店があると肥満率が上がりやすいそうだ。
 食い意地は張っているが、それ以上に面倒くさがりのために、衝動的に何か食べるものを買いに行った記憶はあまり残っていないが。

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今日のお散歩ショット。
 そもそも自分が産まれ育った実家から歩いて行ける範囲にはコンビニもファーストフードの店はなかった。すぐに食べることができるものを売っていた店は小さな街のパン屋さんくらいだったが、今はもうその店はない。いつ閉店したのかも記憶は曖昧だ。
 お菓子も置いていたので、子供のころは小銭を握りしめてよく訪れたのに。一人だけの時もあれば、友人や弟と一緒の時も多かった。

 近所のパン屋さんは店内で煙草も販売していたし、店の前に飲料と一緒に煙草の自販機を並べていた。
 亡くなった父は喫煙者だったので、その店で煙草をよく買っていたし、自分が代わりにお使いに行ったことも何度もあった。

 実家からその店までは歩いても5分はかからなかったと思う。子供の時に全力で走れば1分ちょっと。距離にしたら100メートルくらいではないか。
 日曜日の朝などには、父がパジャマで煙草を買いに行ったことを覚えているし、そのことに違和感を持たずに自分は育った。

 妻とまだ一緒に住んでいたころのこと。
 自分がパジャマのまま、門の外に出たことがあった。おそらくゴミを捨てることが理由だった気がする。
 その状況を見た妻は一気に不機嫌になった。パジャマを着たままで家の外に出ることが、彼女は許せなかったらしい。
 ほめられる行動ではないが、強く非難されるほどではないと自分は思っていたのだが。ゴミ出しする場所は門の外でも道の手前なので、ギリギリの自宅の敷地内だからだ。

 その後、妻の前ではパジャマのままで家の外にでることは控えていたように思うが、独り暮らしになってからはまた元に戻っている。

 同居していた祖母は非常に開けっ広げな人だった。
 夏の湯上がり時には下着を引っかけたまま、家の前の通りでよく立ちつくしていた。風に当たりながら、汗が引くのを待っていたのだろう。
 暗くなってからではあったが、たまには見知らぬ誰かの目にも留まったはず。
 いかにも昭和らしい思い出だ。

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今日の写真のモデルはrikakoさん。